レッセフェール(自由放任主義)の語を最初に用いたのはフランスの
重農主義者
[フランスの経済学者・財政家のグールネー(ヴァンサン・ド・グールネー 、Vincent de Gournay、1712年〜1759年)など。]である。この用語は
重商主義に反対する立場からの「スローガン」(標語)として用いられた。これを
古典派経済学(古典学派)の祖であるイギリス(
スコットランド)の
アダム・スミスが主著『
国富論』(『諸国民の富』、
1776年刊)で体系化した。アダム・スミスがその著書において「自由競争によって「
見えざる手」が働き、最大の繁栄がもたらされる」と主張したのは有名である。もっとも、アダム・スミスは『国富論』の中で「自由放任主義」という言葉には直接言及してはいない。その後、1870年代に
マーシャルによって体系化された
新古典派経済学(いわゆる新古典学派、厳密には「ケンブリッジ学派」という)にも自由放任主義の考え方は引き継がれた。自由放任主義は
ケインズの1926年の著作『自由放任の終焉』によって初めて否定されたといわれることもあるが
[、ケインズの弟子にあたるジョーン・ロビンソンは、著書『経済学の考え方』(1962年)の中で自由放任主義はケインズが初めて否定したとする。]、これには強い異論もある
[の根井雅弘の著作では、マーシャルも自由放任を否定していたとする。もっとも、これらの主張は、根井雅弘が、1976年にノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者フリードマン(1912年〜2006年)を痛烈に批判した上で、経済学者ガルブレイス(1908年〜2006年)のような「バランスの感覚」が必要であることを指摘する文脈の中で行われている。]。