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「国会議事堂」||カンタン資格.com (05/27update)

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大蔵省臨時議院建築局
|施工=
|建築主=
|事業主体=
|管理運営=
|構造形式=鉄骨鉄筋コンクリート造
|敷地面積=
|建築面積=
|延床面積=5万3466m?
|階数=地上3階、地下1階、中央塔4階(塔屋最上部9階)
|高さ=両翼20.91m、中央塔65.45m
|着工=1920年1月30日
|竣工=1936年11月7日
|開館開所=

▲上へ / ▼下へ

|改築=
|所在地=東京都千代田区永田町1丁目7番1号
|所在地郵便番号=100-0014
|電話=
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国会議事堂(こっかいぎじどう)は、国会が開催される建物。現在の建物は1936年(昭和11年)に帝国議会議事堂として建設された。東京都千代田区永田町一丁目にある。
建物は左右対称形をなし、正面に向かって左側に衆議院、右側に参議院が配置されている。

◆ 歴史
第一回仮議事堂
第二回仮議事堂
渡辺福三による議事堂図案
竣工式 昭和11年11月7日
食料難で農場となった議事堂昭和21年6月
現在の国会議事堂は1936年(昭和11年)に竣工したが、その建設計画は明治にまでさかのぼる。
1881年(明治14年)10月、「国会開設の詔」が発せられ、10年後の国会開設が約束された。その4年後に内閣制度が発足、帝国議会開設は1890年(明治23年)と決定し、議事堂建設の取り組みが始まった。しかし、計画は設計の段階から難航し、財政難を理由に当面は仮議事堂を建設することになった(官庁集中計画参照)。
こうして内幸町(現・霞が関一丁目、現在の経済産業省庁舎付近)に仮議事堂が建設された第一回仮議事堂の設計図2枚は2004年に発見され、現在は昭和女子大学で保管されている。この設計図は「国会仮議事堂」と記され、1枚縦約40cm、横約70cm、それぞれ絹布に1階と2階の平面図が黒と赤で描かれている。これによれば、幅約100m、奥行き約40mの建物であった。。第一回仮議事堂は第1回帝国議会召集の前日、1890年(明治23年)11月24日に竣工した。会期中の翌1891年(明治24年)年1月20日未明に漏電から出火、仮議事堂が全焼してしまった。このため華族会館(旧鹿鳴館)、後に帝国ホテルを貴族院にあて、東京女学館(旧工部大学校)を衆議院にあて、急場をしのいだ。その後、昼夜兼行の作業で仮議事堂(第二回)を再建し、同年10月に竣工した(第2回帝国議会は11月21日召集)。
1894年(明治27年)8月には日清戦争が勃発、大本営広島に移されると、第7帝国議会は、1894年10月18日広島で開会された。広島の仮議事堂も約半月の突貫工事で建設された。東京以外で国会が開会された唯一の事例である。
日露戦争後の1906年(明治39年)には仮議事堂の改修及び本格的な議事堂の建設が決まったが、大正政変により実施は延期された。さらに数年を経た1918年(大正7年)9月になって新議事堂の意匠が一般公募されることになった。翌年2月、応募作品118通中、一次選考・二次選考を通過した4図案の中から、宮内省技手の渡辺福三案(実際には宮内省内匠寮有志による案)が1等に選ばれた1等賞金は1万円であった。なお、3等1席の永山美樹案も宮内省内匠寮有志の案である。。当選案を参考に大蔵省臨時議院建築局が実際の設計を行い、デザインは大幅に変更された。1920年(大正9年)1月30日に原敬内閣総理大臣などが参列して、現在地である永田町の高台において地鎮祭を挙行、新議事堂の建設が始まった。
建設中の1923年(大正12年)には関東大震災に見舞われたが、第二回仮議事堂は無事だった。しかし1925年(大正14年)9月18日、仮議事堂は改修作業中の作業員の火の不始末から火災を起し焼失してしまった。このため政府は第三回仮議事堂設置を決め、新議事堂の建設はさらに遅延することになった。仮議事堂は同年12月開会の通常帝国議会に間に合うよう、昼夜兼行の突貫工事でわずか3ヶ月で建設された。
新議事堂の完成が近づいた1936年(昭和11年)2月26日には二・二六事件が発生、陸軍武装青年将校の一群が永田町一帯を占拠した。29日早朝に武力による鎮圧が決定されると、東京湾御台場沖には海軍の軍艦40隻が集結、永田町に艦砲射撃の照準を合わせて反乱軍を威嚇した。
こうした苦難を経て、新議事堂が広田弘毅内閣総理大臣冨田幸次郎衆議院議長近衛文麿貴族院議長など約2800人の来賓を迎えて竣工式を迎えたのは、着工から実に17年を経た1936年(昭和11年)11月7日のことだった。
戦後日本国憲法が制定され、帝国議会にかわる国会が国権の最高機関と位置付けられると、国会議事堂はその権威を象徴する施設となった。また議事堂周辺の国有地が衆議院および参議院の所管に移され、民有地も次々に買収されていったため、現在の国会議事堂の周囲は国会や国政政党関係の施設が立ち並び、日本の政治の中枢となっている。