1952年までの群島政府には民選の知事がおり、しばしば米国民政府の意向に反する言動(日本への復帰要求など)を行ったため、米国民政府は自らが指名する
琉球住民を
行政主席とする琉球政府をつくった。この政府には、
民裁判所、
立法院、行政府があり、三権を司ったが、米国民政府が琉球政府の決定を破棄できるという条件に変わりはなかった。しかし、立法院議員は民選であったので、立法院はしばしば米国民政府の意向に反する決議を行った。そのため、アメリカは
ゲリマンダーや選挙干渉で自分の都合の良いようにした。アメリカは、近い将来に琉球政府をアメリカの
傀儡政権とし、傀儡的な独立国家を建国させようとしていたのだが、琉球の民衆の本土復帰運動は盛んで、第1回から会期ごとに日本復帰決議が行われた。琉球政府と立法院は、米国民政府の意向とは異なり、後に沖縄県が本土復帰をする際の原動力となった。