青梅マラソン wikipedia|無料辞書
◆概要
第1回は
1967年3月に開かれた。当時
東京オリンピックの銅メダリスト
円谷幸吉が参加したことから、キャッチコピーを「円谷選手と走ろう」としていた(しかし円谷の急逝(翌68年1月)で、このキャッチコピーは第1回限りとなってしまった)。当時、一般市民が参加可能なマラソンレースはなく、著名なアスリートと一緒にレースに参加できる大規模な大会として有名になり、今日に渡って全国から参加者が集まる市民マラソン大会となった。2006年までは2月第3日曜日の開催で親しまれたイベントであったが、
2007年と
2008年では同日に
東京マラソンが開催されることになったため、2月第1日曜日に日程が前倒しされた。2009年の大会は、東京マラソンの日程変更に伴い従来の開催日である2月の第3日曜日、
2月15日に開催された。2010年の大会も2月21日(日)(従来通りの2月第3日曜日)に開催される。
例年、全種目合わせて約1万3千人(第40回大会以降約1万6千人)が参加し、沿道には約5万人が観戦している。オリンピックや
箱根駅伝、国際レースで活躍するアスリートが出場することから、沿道からたくさんの声援を送られる。また、市民ランナーにも暖かい声援が30kmコース全域で聞こえることから、アットホームな市民マラソンレースとして有名である。また、
多摩ケーブルネットワークで中継されている。
2001年の第35回大会にシドニー五輪女子マラソンの金メダルを獲得した高橋尚子、2004年の38回には
野口みずきがレースに参加し、二人共に女子の部(30km)で優勝した。野口みずきは同年のアテネ五輪に出場し金メダルを獲得した。
IAAF(国際陸上競技連盟)/AIMS(国際マラソン・ロードレース協会)公認の国際大会である。
2008年にはIAAFによるロードレースラベリングのシルバーラベル大会に認定されている。しかし,国際的には「マラソン」ではない。
1996年大会及び
2008年大会は、東京地方の大雪の為に開催が中止になった。代替開催日を設けていない為、大会が順延されることはない。
◆種目・コース
参加種目は、30km(男女18歳以上)及び10km(高校男子・壮年男子40歳以上年代別・高校女子・一般女子・壮年女子40歳以上年代別)である。1万5千人の参加者が走る30kmのコースは、青梅市の
日本たばこ産業前を起点に
奥多摩街道、
旧青梅街道、
国道411号線に沿って
奥多摩方面に15km進む、標高差85.8mで起伏のある折り返しコースである。
ただし、第一回大会のみ、コースが
青梅街道を箱根ヶ崎方面に向かい、折り返すコースであった。
このコースでは、途中
八高線の踏み切りをまたぐ形になり、当時、本数が少なかったとは言え、八高線の運転間隔以上にランナーのタイム差が出てしまい、踏み切りでランナーの渋滞を誘発する結果となった。
そのため、第二回からコースを現行のものに変更している。
現行コースでは
青梅線と沿う形で進んでいるが踏み切りは存在していない。
マラソンと称しながら距離が30kmしかないという理由で
日本陸連からは「マラソンという大会名はふさわしくない」という声も上がっている。しかし、参加した
高橋尚子は完走して優勝した後、「アップダウンが激しいのでフルマラソンと同じ消耗度です」とのコメントをしている。
◆スターター
近年のスターターは、各界の著名人が務めており、青梅マラソンのイベントの一つにもなっている。
・ 2002〜2004年 -
長嶋茂雄(巨人軍名誉監督)
・ 2005年 -
瀬古利彦(男子マラソン元日本記録保持者)
・ 2008年(中止) - 瀬古利彦
◆歴代優勝者
◇男子